

しかも、エンプラエルは五〇席として開発したER・・45の胴体を短くして四四席のER・・40を、さらに短くして三七席にしたER・・35を作っている。
だが、大きい機体(太い胴体)を小さくしたこの旅客機は、効率がよくないといわれている。
ドルニエの328JETはターボプロップ機からの改造で、やはり胴体が太くて快適性の点ではいいのだが、経済性がよくないボンパルディアやエンプラエルのジェット旅客機開発は五〇席の小型機から出発して、胴体を長くしたり短くして、その前後の座席数の機体を開発してきたため、日本の三〇席の機体が実際に飛ぶ段階となったときには、ともに十二年から十七年の歳月が経過していることになって、そのころには旧世代に属することになる。
とはいえ、これまでの見方として、数十席クラスでも三〇席まで小さい機体になると効率性の問題からジェット機は採算がとれず、ターボプロップ機との競争に勝つのが厳しいといわれてきた。
ならば、日本が最新技術をふんだんに盛り込んで、効率性の高い三〇席クラスの小型ジェット旅客機を開発すれば、市場に食い込む可能性があるのではないか、というのが今回の小型ジェット旅客機計画の読みなのである。
やりつづけることが重要前沢常務は、自信を吐露する。
「侮ってはいけないが、恐るるに足らずだ。
一機まとめる能力があって、しかも安く作れるメーカーとなると、世界広しといえどもそう簡単に得られるものではない」これまで三〇席クラスのジェット旅客機を開発したメーカーはいずれも倒産して、一挙にこのクラスに隙聞が空いてしまった。
三〇席クラスではトップメーカーだったフェアチャイルド・ドルニエはすでに紹介したように、二〇〇二年四月に事実上倒産して受注もキャンセルされ、再起はきわめて難しいようである。
ならば、日本が新規参入できる千載一遇のチャンスが訪れたというわけだ。
ニッチ市場でチャンスというならば、ボンパルディアやエンプラエルが進出してくる恐れはないのか。
特に、ボンパルディアはこのクラスをもっていないのだから、なおさら進出する可能性があるのではないか。
前沢常務は強調する。
「小型機メーカーが対抗機を計画しようとするなら、うまく組む相手を抑えていないといけない。
だが我々は長年、ボンパルディアとかボーイングと親密な関係をつくってきたから、そこは完全に敵に回すのではなく、取り込んでいけるように、議論しながら進めていくつもりだ。
いまは互いにうまく組みながら、お互いの会社が生きていく道を探る。
こういう議論ができるのではないかと思っている。
いくら、ボーイングやボンパルディアにしても、全部自前でやるとは考えていない。
ボーイングのように最近では、モノづくりから手を引きつつあるし、うまく棲み分けていく可能性もある。
マーケティングだけでなく、世の中に果たす役割においても。
アメリカの市場をすべて日本が侵食していくというのではないのだから」とはいっても、日本は完成機を丸ごとやった経験は、ほんのわずかでしかない。
中でも販売力とプロダクトサポートの経験はわずかしかなく、体制もできていないので最大のネックになっている。
その点に関しては、二〇〇〇年五月、三菱はボーイングとの間で包括的提携を結んだと発表した。
新型機の開発や、二〇〇五年から三菱に移管されることになったH2Aロケット、次世代ロケットの第二段エンジン「MBーXX」の共同開発など、幅広く事業協力を進めていくことになっている。
「ボーイングとの包括的提携の中で議論していくことが可能だろうと思っているし、これらすべてを日本でやろうというのではありません。
ボーイングのネットワークを活用するとか、れます」と前沢は含みをもたせる。
自信と意気込みのほどをのぞかせる三菱だが、YSHやMU300で苦汁を味わった過去の例からして、民間機ビジネスへの参入は相当の覚悟がいる。
丹羽部長は語る。
「飛行機は、一度作ると途中でやめられない。
ハラを決め、性根を据えてやらなければなりません。
『できたらいいなあ』という希望だけじゃダメなんです。
三〇席から五〇席の小型旅客機でも、一〇〇〇億円から二〇〇〇億円と資金が必要となってくるし、回収するまでには十年はかかる。
失敗すれば会社の土台が揺らぎかねない」三菱重工の西岡喬社長も強調していた。
「やりはじめたら最後まで諦めないで、やりつづけることが重要である」これまた西岡自身が苦い体験をしたMU300、そしてYSHの教訓から得た言葉であろう。
前沢も同様だが、三菱重工が開発して一九六六年に納入し、アメリカを中心に七五七機を販売した一一人乗りの小型プロペラ機のMU2、さらには、一九八〇年に納入して一〇一機を販売した、一〇人乗りの小型ジェット機MU300がある。
いずれもアメリカで現地生産も行ったが、事業としてはうまくいかず大赤字を出して結局、一九八八年に設計、製造も含めてすべて米ビーチ・エアクラフト社に売り渡して完全撤退した。
「このときの失敗の経験は、今回の三〇ー五〇席の計画の随所に生きています。
その意味では、昔のようなことは繰り返さないし、十分な技術は蓄積してきたつもりです。
また、MU300などをやって失敗して苦労してきたものが、後輩にチャンスを与えないで去っていくのはいかんのじゃないかと思っていますし、責務があると思っています」すでに若干触れたが、いま日本の航空機産業では設計技術、開発技術の継承問題が大きくクローズアツプされて、各メーカーの上層部は危機感を募らせている。
その意味からも、日本は今回の小型ジェット旅客機の開発をなんとしても実現させる必要があった。
先にも指摘したように、東西冷戦構造の崩壊で調達機数が大幅に削減され、それに加えて、軍用機の価格高騰から新機種の開発機会がめっきり減ってきている。
あるいは、ライセンス生産となった場合にも、国産化率が著しく低下して、重要技術、最先端技術の部分はブラックボックス化することが多くなってきて、学ぶことができない。
新機種の開発機会が減ると、開発・設計技術者の継続的育成ができなくなって、十年、二十年単位で見たとき、たとえ新型機を開発しても、技術力の低下や経験不足から、水準の低い、洗練度の低い航空機しかできなくなる。
産業全体がレベルダウンして内部から崩壊していくことになるため、業界では危機感を抱いている。
ボーイングやボンパルディアとの民間機の共同開発では、部分的な設計であって、効率性の点からも、機種は変わっても、つねに胴体だけを担当するといったように専門に特化され、固定化されがちである。
このように全体を取りまとめるわけではないので、学べる技術は限られてしまう。
しかも、もつとも高度で重要な技術はボーイングやボンパルディアが担当して手放さないからである。
技術の足元が崩れだしてきた次に、一人の技術者の育成および成長といった観点から見ると、たとえば工学系の大学あるいは大学院を卒業して航空機メーカーに入社した技術者が、運良く数年して戦闘機や民間機の新規開発プロジェクトの機会に恵まれて参画したとする。
彼らの力量からして、先輩技術者の指導を受けながら詳細設計を担当し、三、四年間にわたり、航空機(軍用機)を開発するとはどういうことかを経験することになる。
その後、派生型機や改造、トラブル対策、共同開発の一部を担当するなどして、こまごまとした仕事を経験することにもなるだろうが、ここで経験して身につけたことは、あくまである部分の詳細設計といったものでしかなく、航空機全体を理解し、基本設計や全体システムのノウハウが身につくというものではなし。
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